地元に帰った話。
おはこんちばんは~~~!!!
なんだかかなりハイペースで更新してるはてブロ。
今月だけで2回も更新してる。暇かよ。
さてさて、今回も試験の話。
ですが大体形式は前回書いたようなのとそんなに変わらないので試験の話っていうか試験期間中(3~4日間くらい)に起こったことや思ったこと、感じたことをブワーしようと思います。
試験のために地元(在来線で1時間ちょっと、そこから新幹線で早ければ2時間ほどで着きます)に帰ってきたのは金曜日の夕方。
新幹線を降りた瞬間の不快な熱気。地元にもとうとう夏がやってきたなあと思いながら重いボストンバッグを引っかけて階段を降りる。一応県庁所在地の駅なんだからエスカレーターをもう1個作ってくれ。
わざわざ迎えに来てくれた父(地元とはいえ私の家の最寄りはさらに在来線で30分ほどのところ)の車に乗りこんで4ヶ月ぶり(そこまで長くない)の実家へ。
単身赴任中の母も帰ってきて久しぶりに家族3人が揃いました。
母は私が大学に入学するのと同じタイミングで転勤が決まり、制度上自宅からの通勤が認められない距離だったため社宅に入って一人暮らしを始めました。車で40~50分程という行き来できないほどの距離ではないため週末には定期的に帰ってきますが、実家には実質父が一人で住んでるようなものです。1人につき家(部屋)1つ。ウワァ、ブルジョワだあ(IQ2)。
父も母も土日にしか会わない上に年に2~3回くらいしか会わない私。夜も更けてお酒が入ってくると話題は嫌でも私の試験の話に。
あおの母「あんた大丈夫なの?受かるの?」
あおの「受けてみないと分かんないよ」
母「エ〜~だめじゃん、だからあんたには無理だって言ったのに~~」
うるせえ~~~!!!
受験生の前でそんなこと言うんじゃないよほんとに...と思いながら自室に移動。
両親はお酒が入ると普段の5割増しで声がデカくなる上に同じ話100回するしボディタッチが過剰だし話が長い。
そう。CHO-MENDOKUSAI。
こんなのに絡まれたら私の精神が危ない。
ということで避難避難。
残っていた国語の過去問と教育時事を少し確認して就寝。
次の日。6:30起床。
高校の時は電車通学だったのですが、朝が弱すぎて無理矢理起こされていたので自分で起きて下りてきた私を見てやる気満々だね〜!と冷やかす母。そりゃそうだろ。
試験会場に着いた時には既に開場を待つ人集り。
とりあえず私も待つか...と思って佇んでいると高校の時の同級生(中学から部活の関係で面識はあったのですが、学校が別で高校から同じ学校に通って一緒に吹奏楽部で3年間やってきた人。2人とも文系を選択したので2年生と3年生では同じクラスになりました)がやって来ました。
地元の教育学部に進んだのでこの人集りは知り合いばかりだと思っていたのですが、
「えっ知らない人しかいないんだけど」
マジかよ。
めちゃくちゃ笑いました。笑いをありがとう。
お互いに頑張ろうね、と励まし合いながら教室へ。やっぱり関東受けた時より人数少ないなあ、なんて思いながら参考書をパラパラ。
そうこうしてる間に監督の先生が来て諸注意があり、試験が始まりました。
まず教養。
関東と違って一般教養がない分心理的な負担は少なかったのですが、参考書にも過去問にも見たことのなかった人がドバドバと出てきておったまげましたね。とりあえず空欄を作らないように、とだけ頑張りました。
次に論作文。
1000字を70分はキツイって...とか思いながら書いてました。もはや無心。高校の時はあんなに論作文嫌いだったし苦手だったのに今はそうでもないっていうところが恐ろしいですね。
最後に専門。
今年度から傾向が変わり、120分間に国語と道徳の2教科を解かなければならないことに。無理。
しかも関東と違って専門科目は記述なんですよね。もっと無理。シヌ。
小説が難しすぎてビックリしました。短歌・俳句の鑑賞も難しかったです。全体的に難しくて白目。
全部終わったのが16時前ですかね。
買い物に来ていた両親と合流して帰宅。
母「やったった感ある?」
あ「うーんまあとりあえずは」
母「ほんと、なら良かった」
おっいつもとリアクションが違う。
と思いきや事件はここから起きました。
母は以前から私に公務員試験(県職員とか市役所とか)を受けるように言っていたのですが、公務員にさらさら興味もなく採用試験に集中したかった私はずっと嫌だと意思を示してきました。4月にチャレンジ精神で挑んだ公務員模試はひどい結果でなおさらやる気がなくなりました。
母「ちゃんと公務員も受けてよ?」
あ「やだ」
母「やだじゃなくて。ちゃんと就職してちょうだい」
あ「講師やるから」
母「講師なんか認めないよ。講師やるくらいなら県庁とか市役所で働いてよ」
母「なんでそんな公務員嫌なの?暇じゃん」
あ「暇だからやりたくないんじゃん。ちゃんと働きたい」
母「いやいや暇じゃないから。それに公務員受ける約束で大学やったんだから」
母「とにかく受けるだけ受けてちょうだい」
あ「だから公務員興味ないからやだって」
母「興味ないとかじゃなくて働かなきゃないんだから働いて」
あ「講師やるって言ってるじゃん」
母「講師は仕事に入らないから」
URUSE~~~!!!
私は誰のために就職するんだって話ですよ。
ずっと目指してやってきて、やっとその第一関門を抜けたはずだったのに出端をくじかれるようなことをこっちの気も知らずに言う母親が理解できませんでした。
確かに無事に就職して欲しい気持ちは分かる。大学も県外という進路を選ばせてくれたことには感謝してる。でもそんなことってある??
公務員受ける約束なんてしてないからね??
私は最初から教員になる気しかなくてこの大学に入ったんだからね??
よほどそう言おうかと思いましたが何を言っても不快感しか残らないと思ってやめました。心労。
日曜はひたすらダラダラと過ごしてました。
夜に前日試験会場で会った友達(彼女はこの日音楽の実技試験を受けてきてました)から連絡が来て次の日に会うことに。
そして今日会ってランチに。話題は試験の話やら吹奏楽の話やら。
どんなに急に呼び出されても彼女なら許せるなあと思う人です。やっぱりかつての戦友(なんかかっこいいね、戦友)なだけあるなあと。私も彼女も中学の時から同じ志を持って来た人なので、話が積もる積もる。
そして今、帰りの新幹線の中です。
今回の帰省はかなり精神的にキツかった。
時に厳しく、時に優しく激励してくれる母は好きですがこういうところはどうしたって好きになれない。育ってきた時代と環境が違ったことを強く強く感じました。こういう人と私は社会で渡り合っていかなければならないのかと思うと今から恐ろしい気持ちです。
ですがここで試験合格して先生として4月から勤務できたらカッコイイんじゃないかなと思い始めてきました(笑)。そんな自信は全くありませんが最善は尽くしてきた(つもりでいる)ので、天命を待ちたいと思います。
そしてゆくゆくは彼女と同じ学校で吹奏楽の指導に携わって、子どもたちを全国の舞台に連れて行きたいです。私たちの手で県内初の全国大会出場校を作る、という夢はもう叶わなくなりましたが(私たちが大学に入ってから彼女の母校が全国大会に出場したため)、私たちを指導してくださった先生方への餞として結果を残したいなと思います。
中学3年生の頃からお互い言っていることなのでもう7年にもなりますか。
ですが私はもう吹奏楽から離れて4年になりますので、副顧問くらいでバックアップしていきます(笑)。
ここまで読んでくださってありがとうございました!最後の方は親への愚痴みたいになってしまってすみません!切腹します!
とりあえず合格通知来ないかな!!!